日本一の嫌われ者が私に教えてくれた事。『信じぬくんだ。たとえひとりになっても』《リーディング・ハイ》
記事:市岡弥恵(リーディング・ライティング講座)
うーん、かっこいいよな。
どう見ても、イケメンだよな。
私は彼のブログ写真を見たとき、素直にそう思ったのだ。恐らく女性の多くが、彼の事をイケメンだと認識していると思う。
正直私は、彼の事をあまり知らない。
というか、全然知らない。
しかも、芸人としてテレビに出ていた頃の彼のことなんか全く記憶にない。あの有名な番組は見た事があった気がするのだが、正直記憶にない。
しかし、ひょんな事からSNSのタイムラインに彼のブログがシェアされていて、そして私は「絵本作家」としての彼を知る事になる。芸人の彼を知らない事が功を奏しているのか、私の中で彼は「絵本作家」という立ち位置になっている。
それにしてもだ。
なんだこれ。
彼は、そんなに嫌われ者なのか? 正直この時、名前は知っていても、どんな芸風でどんな事をやってきていた人なのか知らない私は、彼がなぜそんなに嫌われているのか分からない。
しかし、そんな事は正直どうでもいい。
彼が日本一嫌われていようが、炎上していようが、別にどうでもいい。
それぐらい私は、彼の絵の美しさに、一目惚れしてしまったのだ。
それと、彼のイケメン具合に。
***
2016年9月。
私は、少しだけ人生の選択に悩んでいた。
既に31歳。
仕事はちゃんとしている。既に転職を2回して3社目だ。社会人生活9年の中で3社。もしかすると多い方なのかもしれない。3年に1度は、働く場所を変えてきたのだから。転職エージェントの人から言わせると、「次は無い」のかもしれない。所謂、「信用がない」というヤツだ。入社してもすぐに辞めてしまう。そう思われる可能性があるというヤツらしい。
しかし、私は全く後悔していなかった。
それは、会社が嫌で辞めたからではなかったからだ。自分が目指すべきところへ一歩一歩近づくために、私は職を変えてきた。業種もバラバラだ。しかし私は、着実に自分が目指すべき姿に近づいているという実感があった。
それなのにだ。
それなのに、私はなぜか、ぼんやりと心のどこかに空虚感を抱えていた。いつもいつも、自分の心が「こんな事じゃない」と言っている気がする。
あの時だってそうだった。
私が毎日、終電で帰る生活をしていた頃の話だ。
夜中2時頃にやっと布団に入り、夢なのか現実なのか分からず、フワフワとしていた時だ。
突然、全身傷だらけの女の子が、泣きながら私の前まで歩いてきたのだ。腕や足にかすり傷があり、血が滲んでいた。そして、その女の子は私の前でシクシクずっと泣いているのだ。夢であって欲しいと思った。いや、これが現実なら幽霊とかそんなモノじゃん。だから、夢であって欲しいと思った。声をかけようか、どうしようか迷っていた時、私は突然こんな事を思った。
あぁ、これ私か……。
なぜだか分からない。ただあの時、この泣いている女の子が私自身だと思ったのだ。
そして、私はこの女の子を抱きしめた。泣きながら。
多分夢だった。私は、夢を見ていたのだと思う。しかし、この時の経験を私はずっと忘れられずにいた。
2016年に入った頃から、私はこの時のように自分がどこかで叫んでいるような気がしていた。
違う、違う!
私はそんなことがしたいんじゃない!
違う、違う、違う!
そう言っている気がしていたのだ。
分かっていたはずだった。自分が何をしたいのか。子供の頃から何が好きだったか。分かっていたはずだったのだ。
それなのに、私は自分に嘘をつき続けた。
嘘をついて、自分が目指すべき方向性まで捻じ曲げてきた。周りに認められる事。親に認められる事。褒めてもらえる事。周囲の人間からはみ出さない事。社会人として立派であること。それに合わせて、人生の舵を取ってきた。
完全にこじらせている。
人生の舵を取るのは自分しかいない。だから、私が今この場所に立っているのも、私が舵を取ってきたからだ。誰のせいでもない。紛れもなく、私自身が自分でこの場所に立つように、進んできたのだ。
それなのに、私の中の小さな女の子は叫び続けていた。
違う、違う!
私はそんなことがしたいんじゃない!
違う、違う、違う!
分かってる。分かってるよ……。
書きたいんだよね、分かってる……。でもさ、生活しなきゃいけないじゃん。生きていかなきゃいけないじゃん……。それに、小説家になりたいなんてそんな事言ったら、反対されるに決まってるじゃん……。
私は、やはり自分の中の女の子を、そう言ってなだめていた。
周りの大人たちがやるのと同じように。
2016年9月。
私は、少しだけ人生の選択に悩んでいた。
それは、6月からライティングを学び、書きたい衝動になんとか対処してきた私が、よもや「プロになりたい」と言い出したからだ。
「書きたい」という自分に、天狼院書店という「書く場所」を与え、自分を騙し騙しなだめてきた。Web天狼院に記事をアップしてもらい、なんとか自分を納得させてきた。書いているじゃないか。毎週毎週、書いているじゃないか。毎週どころじゃない。ほぼ毎日書いている。仕事をしている時以外は、常に書く事を考えている。私はやりたい事をやっているじゃないか。そう言ってなだめてきた。
それなのに、私は「プロになりたい」と言い出したのだ。
そして、それに追い打ちをかけるように、SNSで目にした西野亮廣のブログ。
うーん、かっこいいよな。
どう見ても、イケメンだよな。
彼のプロフィール写真を見ると、芸人のそれではなかった。モノクロ写真だし、顔の前で手を組んでいる。どう見ても、モデルみたいな写真だ。
それに、なんだこの絵は……。
なんなんだ、この息が止まるぐらい美しい絵は……。
文章よりも絵が気になって、記事なんか読まずにツルツルと画面をスクロールする。次々に美しい絵が出てくる。はち切れるような笑顔の少年が居るかと思えば、ボロボロになった後ろ姿のよく分からない人間の絵。どんよりとした雲の下に広がる、美しい街並み。どれもこれもが、細かいタッチで描かれており、この一枚を書き上げるのにどれだけの時間がかかったのだろうと、見ているこちらが不安になる。
私には絵心がない。だから、この絵を描くのにどれほどの時間がかかるのか分からない。
それでも、自分がこの数ヶ月必死で文章を書いてきたから感じるものがあった。この男の努力の仕方は、並大抵ではないと。
クリエーターというのは、「才能」の一言では片付けられないのだ。もちろん「才能」が全く関係しないわけではないとも思う。
しかし私は、天狼院書店に身を置いて初めて、「才能」だとか「天才」だとかいう言葉は、ただの言い訳だと思った。それは、努力できなかった人間が、努力した人間に対して言う負け犬の遠吠えだと。
現に、私の目の前に居る、バズを起こすゼミ生達を見ると、やはりひたすら努力をしている。寝る間を惜しんで努力をしている。彼らは「天才」と呼ばれながらも努力をやめないのだ。ただひたすらに、よりよいコンテンツを生み出す為に努力を続けていた。休むこともなく。
私はこの時期、初めて「小説家になりたい」と公言した。しかし、やはり不安だった。本当になれるのか? 宣言したもののなれるのか? いつもの大人の私が囁いてくる。このまま仕事をしていればいいじゃないか。このままの人生で十分生きていけるじゃないか。趣味の範囲でいいんじゃないのか? そこまで必死にやる必要があるのか? 人生の優先順位を間違えているんじゃないか?
しかし、私の頭の中から、西野亮廣の絵が頭から離れる事はなかった。
そうして、2016年10月。
彼の絵本が出版された。
私は仕事が終わり、すぐに本屋に向かった。レジ横の目立つ場所に平積みされた彼の本。
やはり美しかった。私自身が、よく文中で描写する「夜景」が表紙を飾っている。そして帯には、この一文が引用されていた。
「信じぬくんだ。たとえひとりになっても」
私はそのままレジに向かい、我慢ならずに、本屋の外に置いてあるソファーに腰掛け、ビリビリとビニールを破いた。
一枚一枚大事にページをめくっていく。
絵が、文章が、私の中にどんどん染み渡ってくる。
そして最後の1ページを閉じた時には、涙をこらえるのに必死だった。
「信じぬくんだ。たとえひとりになっても」
分かっていた。
一番自分を信じていないのは自分自身だという事を。
「信じぬくんだ。たとえひとりになっても」
分かっていた。
一番自分を傷つけてきたのは自分自身だという事を。
「信じぬくんだ。たとえひとりになっても」
分かっている。
私をこの場所に連れていけるのは、私しかいないということを……。
彼は、日本一の嫌われ者らしい。
すぐ炎上してしまうらしい。
しかし、そんなことはどうでも良かった。
私は、日本一の嫌われ者らしい彼から教わった。
自分自身を信じるということを。
紹介した本:著者 にしのあきひろ 「えんとつ町のプペル」 幻冬舎
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